Chat GPTについて思うこと
- デザイン/Tech
- 2023/07/25
最近仕事効率化などで話題になっているChat GPTについて、IT業界の端っこにいて思うことを綴ってみたいと思います。
「それって個人の感想ですよね?」そうです個人の感想です(笑)。最新情報でも何でもないので、その点御留意の上お読みいただけますと幸いです。
小さい頃に見たピアノの自動演奏
Chat GPTで素晴らしい音楽や絵を生み出せるかもしれない。
などというニュースとともにAIによって描かれた作品が発表された時、ふと思い出したのが子供の頃に見た「自動演奏ができるピアノ」のことでした。
ピアノの前に誰も座っていないのに鍵盤がペコペコ凹んで自動で演奏がなされている。
今では特に驚かれることもない光景ですが、筆者がまだ子供だった頃…自動演奏ピアノが登場して間もない頃には、物珍しさからみんな周りに集まって眺めたりはされていたと記憶しています。
が、注目されたのは最初だけ。
その後はショッピングセンターの端っこでBGMを流すCDラジカセの代わりかのようにピアノが自動演奏をし、多くの人々は目を向けずに前を通り過ぎていく様子を子供ながらに目の当たりにしました。
ChatGPTが生み出す芸術を考えたとき…
とてつもない時間をかけなければ描けない点描などの絵画など壮大な作品が生み出されたりはするかもしれないけれど、世界の一流の音楽家のエッセンスを集合させたすごい名曲が生まれるかもしれないけれど…。
人間が生み出す芸術活動の代わりを担うかというと、ちょっと「?」が浮かんできてしまいます(個人の感想です)。
私たちが音楽や芸術に触れて感動を覚える時、作者や演者が技術や感性を修錬してきたストーリーはもちろんのこと、演奏中に発する気、エネルギーなども一緒に受け取っていると思うのです。
しかしChatGPTによって編み出されたものは、どうしても「サンプリング」の域をでないように思えてしまうのです。
そしてその「サンプリング」をする対象である膨大なビッグデータとは人間の営みの中から生み出されたものの集合体であって、そこに依存している以上人間を超えるものとは言えない気がします。
例えば将棋も、AIに負けたって別に悔しいとは思わないなと。
そりゃたくさんの名人の過去データを何百も何千も集結させて計算した最高の一手を相手にかなうわけはないでしょう。と思ってしまうのです。
特に日本の国民性は「ストーリーごと愛す」性質が強い国民性だと思うのですが、この先AIからそれをも見越した素晴らしい芸術や文化が生まれてくるのでしょうか?
それとも先の自動演奏ピアノのように、注目されるのは物珍しい最初だけになってしまうのでしょうか?
個人的には、人間が人生をかけて作り上げるという「プロセスごと」その作者を好きになりファンになるので、そこまでは相入れないんじゃないか?
…と信じたい想いであり、AIの生み出す芸術に関しては遠巻きに静観しているという感じです。
VS codeのChatGPT系拡張機能でどこまでできるのか
とはいえChatGPTを完全に遠ざける訳でもなく…。
自身の使っているVS codeに、ChatGPTが使えるようになる機能拡張「Chat GPT Genie AI」を入れてみて少し試してみました。
例えば、「申し込みフォームのコーディングをして。項目は氏名、年齢(プルダウンメニュー)、メールアドレス、コメント記入欄、送信ボタンを中ぞろえでつけて。」
…などと命令するだけで、自動的に申し込みフォームのコーディングをしてくれるのだとしたら…。
時短ができてとても楽になりそうですよね。
ただし、書かれたフォームが正しい文法なのかどうかを判断する能力は必須だと思うので、コーディングの知識が全くない人がコーダーになれる。という感じにはすぐにはならないのかなと、今のところ感じています。
私はというとグラフィックデザイナーとしてDTP系のお仕事からスタートし、のちにIT業界に入ったという経歴。なのでどちらかというとコーディングよりデザインの方を得意としています。
同じWebデザイナーでも経緯によっては得意不得意がそれぞれ違ってきますよね。
業務として得意な守備範囲はデザインで、コーディングもするけどコーダーとして専門にしている方には敵わないという方、でもコーディングルール、正しい文法はきちんと理解しているという方ならChatGPTを補助的に使いこなすことによって仕事効率につながるかもしれないなと思っています。
ただし、コーダーさんの仕事が全てChatGPTに置き換わってしまうかというと今のところ「そんなことはない」と思っています。
なぜなら、ChatGPTに指令を出すには下地となる知識が絶対に必要だからです。
コーダーさんとして専門にやってきた方が、毎回同じコードを書く時間を短縮するツールとして使うことで1日にこなせる仕事量を増やすなど、あくまでも補助的に使う感じに落ち着くのではないかと個人的には予想しています。
インスタ投稿の自動化について案じていること
最近コーディングの知識などをYoutubeで検索していると、「Chat GPTを使って5分で100個インスタ投稿を作る方法」などという動画をよく目にするようになりました(サムネを見かけただけで、どうも興味を持てず…(笑)この記事を書いている時点ではまだ実際に動画自体を観てはいないのですが…)。
これ(動画のサムネだけ)をみて直感的に思ったのが、ユーザーのインスタ離れが進んでしまわないか?ということ。
肝となるコンテンツの内容までをAIだのみにし、面白くて役に立つ内容を企画する力をも放棄して効率ばかりを求めてしまったら…。
みんながみんな、楽ちんする方向に流れてしまったら…。
効率よく稼ぐことだけを重視してしまうと、どうしても内容が画一的になり、つまらないものが量産されてしまうのではないか?と悪い方に想像してしまいました。
かつてGo○gle検索のアルゴリズムが激変し、「権威性」が特に重視されたことによって…
例えば健康情報だと個人の体験談より医師監修の記事の方が検索上位に上がるという状況に変わり、個人ブログがどんなに貴重でためになる情報を発信していたとしても、実質検索上位に上がりにくくなったという流れがありました。
その頃から一部で(特に若者の間で)インスタなどのSNSによる検索に流れてしまったと認識していますが、その時のように…。
また、かつてFaceb○okがUIをストック型からフロー型へと大きく変更し、広告の効果を優先したあたりから、初期のユーザー離れが進んでしまった時のように…。
ユーザーは、そのプラットフォームが「使えない」、「つまらない」と感じたら他に移動する。というのは過去に目にしてきたところではないでしょうか。
2023年中盤時点での現状はというと、ChatGPTに飛びついた若きアーリーアダプターたちがまだ色々遊びながら試している「道半ば」というところでしょうか。
中には情報の量も質も無双してしまう強者が登場するなんて展開もあるかもしれませんが…。
その場合はきっと自ら考え出す力、生み出す力は捨てずにAIとのちょうどいい距離感や上手な付き合い方を編み出した者のみが辿り着く境地なのではないかと想像します。
ChatGPTの利用方法としては、時短になるような補助的な利用の範囲を超えた、「考える力」「生み出す力」にも及ぶ利用は慎重にと捉えています。
思想の偏りは起こらないとは言いきれない諸刃の剣
先に紹介したインスタ投稿を自動で生み出すような使用方法もそうですが、本来なら検索結果にも出てこないような…自分で解決策を考えるはずだったのに、その部分をChat GPTに依存してしまうことが当たり前になった世界線だったとして…。
そのAIが答えを導き出す元となっているビッグデータやそのアルゴリズムに、「思想の偏り」はないと言い切れるのでしょうか?
G○ogle検索だって先に紹介したように「権威性を重視する」という一つの考え方によって例えば医師や栄養士、弁護士などの専門家以外の一般人の声が小さくなるような偏りが出ていることを考えると…。
当然このような検索エンジンのアルゴリズムもビッグデータの質に影響を与えているということになり、そこに全くの「誘導」がない、「偏り」がないとは言い切れないと思うのです。
Chat GPTに頼ることによって本人が意図しないところで何かしらの誘導がなされていたら、検索結果以上の思考の深いところでの「誘導」につながってしまわないだろうか?
その点は、新しい技術に対して「可能性」を潰しかねないとても悲観的な考えと思われるかもしれませんが…。
それでもこれはとっても大事な「気にかけておかねばならない部分」だと思っています。
若い人たちの柔らかいフレッシュな脳や心に向けて偏った政治的な誘導、危険な思想への誘導などがなされてしまったとしたら…。それはとてもとても怖いことだからです。
ということで、なんでもChatGPTに質問しまくる人々を心の中で案じつつ…彼らのチャレンジの中でちょうどいい距離の取り方が編み出されることを祈りつつ…。
自分自身の考え方や軸に関わることに関してはAIとは距離を置くというスタンスでそっと見守っている次第です。
肝心なのは人類が幸せになるかどうか
みなさんはAIとの付き合い方、ChatGPTの活用方法などをどのように考えますか?
色々と思うことを書き連ねてみたものの、結局はこの技術によって「わたしたちが幸せと感じるかどうか」次第なのかなと思っています。
Chat GPTをあれこれ活用しようと使ってみたものの、自分で考える力が退化してしまったり、思考の偏り、誘導によって不幸が生まれてしまったとしたら元も子もありません。
もしか「こんなはずじゃなかった」と思うようなことが発生したら、都度「自分が幸せになっているか」、「周りを幸せにできているかどうか」という至極シンプルなところに立ち返る必要があるのではないかと思います。
ということで、Chat GPTに対しての「個人の感想」でした(笑)。
ちょっと長めの文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。